遡行

虚無感、義務感、不毛感はどこまで無くせるのか

世界の目的

わざわざ生まれては わざわざ孤独に生きる
わざわざ死にゆくために わざわざ意志に生きる
徒労の色と悲願の味の根底にあるのは無駄さである
「人間は無駄なことをしうる」という誤謬が
人間を「わざわざ」苦しめている

遠回りであるようで 最短距離を行っている
人間は必ず最短手筋で死ぬようにできている
ある個人のあらゆる行為は その個人固有の死の形式の実現のための完全な布石である
一挙手一投足が 死の形式を精密に整合させる
人類という種は 物理法則が許すかぎり最短の時間で死の形式を網羅するだろう
人間の多様性とは 死の形式の多様性に他ならない
ある有限時間後 可能な限りの人生の途絶え方が網羅されている
あなたのような生き方をする人間がやがて存在するということは 宇宙が始まった時点で つまり物理法則が定まった時点で既に決まっていた

ただしここで 死の形式とは実存的なものである

人類はあらゆる死の形式を網羅するべく存在している
未実現の死の形式がある限りは 人は新しく死に続ける
自然は無駄をせず その一部たる人間もその例外たり得ないからである

ではなぜ徒労感は蔓延るのか
それは徒労感を見出す地平が過渡的だからだ
悲願のために奔走する心が過渡的だからだ
無駄さとはつねに実存的かつ過渡的である
実在的または恒久的な無駄さは存在しえない
つまりあらゆる無駄さには それを無駄の無さとして捉えなおす時点および観測者が必ず存在する
究極的な地平に徒労感はない
究極的な心に悲願はない
徒労感と悲願は過渡的に 個人固有の死の形式の実現のために発生する
つまり徒労感と悲願は死の形式を差異化する
それらは死の形式を差異化するものの ごく一例である

孤独とは自然である
なぜなら孤独とは それを経験する者にとっての必然・宿命だからである
そして自然は無駄をしない
ゆえに無駄な孤独などない それは大いなる調和の一片であり 究極の目的の達成に先行する一過程である
究極の目的とは先述の通り 死の形式の網羅である

しかし孤独それ単一では 意味にはなりえない
つねに全体を視野に収める必要がある

世界では不幸が軽視され 屈従が忌避される
しかし本当のところ それは対称性を伴って調和する全体の一部でしかない
不幸に還元される意味は本質的ではない
屈従に還元される苦悩は本質的ではない
それらは人間の生存形式に応える形で捏造された
「さしあたっての原因性」でしかない
全体としてのゲシュタルトが加味されていないからである
幸福と不幸とが同一の地平において同時に見つめられなければならない
支配と屈従とが全く同時に経験されなければならない
そうすることでそれらの実存的な意味は解体されその本質が顕になる
その本質とは死の形式の差異化である

ある個人が不幸なのは 彼が宇宙開闢以来 誰とも異なる形式で死ぬためである
ある個人が幸福なのは 彼が宇宙開闢以来 誰とも異なる形式で死ぬためである
孤独とは 死の形式の差異である
悲願とは 死の形式の差異である
文化とは 国家とは
死の形式の差異である

なぜ生の形式ではなく 死の形式なのか
死の形式を生の形式に置き換えても 以上の話は通るのではないか
確かにそうだが それでも死の形式 としたほうがよい
それは 死が生よりも包括的だからである
死は生を含んでいるが生は死を含まない
死の形式は生の形式を含んでいるのである
人間はある人がどう死んだのかを知ることで
その人がどう生きたのかを知る
ある人が「そのように死ぬ」ためには
「そのように生きる」必要があったことを
人間は死を目の当たりにして学ぶ

繰り返しになるが 死の形式という観点からし
人間は無駄なことを一切しない
人間のあるゆる行為は 死の形式の網羅という目的への従属という意味では完全であり無駄はない
無駄さは還元主義的な地平においてのみ現れ出てくる
全体を見据えようとすると 忽ち無駄さは消える