遡行

虚無感、義務感、不毛感はどこまで無くせるのか

多様性と優越感

テーマ: 優越感を悪いものとする価値観より、善いものとする価値観の方にこそ可能性を感じる。= 優越感の抱き合いを是としてしまえばいいのではないか。
    1. 優越感は本能的な感情であり、また、優越感は前向きな生の本質的な基盤となっている。このことを否定できる人間はいないと思われる。優越感を抱きたくない、優越感を目的としない、という信条の発生すらもまた、優越感を得ようとする衝動のあらわれ以外の何物でもないからである。つまり、下線部の命題を肯定しようが否定しようが、本質的には同じだということ。ではそもそもなぜそうなのか。色々な説明がなされうると思うが、個人的には有性生殖と優越感の不可分性が大きいと感じる。
    2. ゆえに、「お互い誰も優越感を抱かない、あるいは少なくとも、お互いに相手が自分に優越感を抱いていると感じない。しかし各人は前向きに生きていられる」そのような世界を生物たる人間が築くことは不可能である(脳にチップを埋め込みでもすれば可能かもしれないけれども)。もっといえば、物質たる人間には不可能なのである。このことをしっかりと共通に認識することで、「優越感の抱き合いという構図を当然視する(忌避しない)」という達観が蔓延すれば、優越感を抱くことにさしたる価値はなくなる。すなわち、優越感の普遍性、均質性、"優越感は優越性の根拠ではないこと"を人々が熟知すればよいのだが、そういう啓蒙は容易ではない。しかし人類の不断の進歩を前提するなら、遅かれ早かれそういう局面は訪れるのではないか。
    3. その局面が訪れた暁には個々人が心底、優越感を抱いている。誰もが人類の勝利者に属している。生への後ろめたさ、疎外感、不全感、そういったものは生じない。
    4. そのためには多様性への寛容さが、徹底して不可欠である。
    5. 文化の細分化もまた必要条件である。例えば100万人が住む国において100万種類の住み分け可能な領野が存在したなら、各人が固有の1種類の領野における第1人者になり、その領野に関して他者に対する優越感を抱く、という構図が理想である(100万種類の領野の住み分けに必要なのは100万種類の領野ではない。100万通りの領野を合成できるような遥かに少数の領野が存在すればよい。だからこういう状況は数字ほど夢物語でもない)。現代では、優越感の(根拠となるとされている事柄の)種類が乏しいからそれの奪い合いが熾烈化するのであって、優越感の種類(を抱ける根拠となりうる分野)が多様化、細分化すればそれだけ幸福感や生の充実も普遍化するのではないか。そしてそういう細分化が未来においてなされることは、人口がそれほど増えなければ十分ある。
    6. 5からわかるのは、個々人は完全な自立性を身に着けなければならないということである。自分の模範を誰かに据えた時点でその人物に優越することが出来なくなり、ゆえに優越感も得られない。個々人は自らが自らの規範となり、孤独な創造と研鑽を重ねるほかない。
    7. ではそのような局面ではどのような教育がなされているのだろうか?領野の多様化と細分化の前段階でなされなければならないのは、人類の知に関して最高度の全体性をもった学習指導方針を持ち、最高効率での学習を可能とする教育である。全員が幼い頃にあらゆる領野の概要を身につけることが望ましく、そうであるからこそ十分に細分化された領野の合成がのちのち可能になるとともに、第1人者たる他者への純粋な尊敬の気持ちも芽生える。学習範囲と個々人の潜在能力を掛け合わせたものが文化細分性になり、文化細分性が優越感の普遍性を実現する。
    8. とはいえ、実は現段階で既にそのような世界を築く素地は私たちに十二分に与えられている。個々人がただ自らの価値観について、他の誰にも真似出来ないような独自発展を遂げればそれで済む。そういう価値観に応じてもたらされる優越感は誰の手によっても損なわれない。
 
    要するに、優越感を感じられないのは、誰かしらの(もしくは世間の)価値観に追従し、かつ、自分がその誰かしらに言わせるところの価値に乏しいと気づいてしまうがゆえなのであって、価値観がくっきりと相異なる世界においては、少人数だけが優越感を抱くという構図は保たれないのである。