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のべつまくなし

自称本の虫。INTP型。

読書の指針4_本の難易度

「わからないことに直面した時には、わかると思っていることを疑うのがよい。」冷静さを失えば、このような簡単なことですら見失うのが人間である。

さて、読む本の難易度はどのくらいがよいか。

本が簡単すぎることはなんの問題にもならない。気がなごむし、理解していることの確認の意味でも、自分の過去の振り返りの意味でも、豊かなひとときといえるだろう。

問題は、難しい本にも果敢に挑戦するのか、それとも、そこそこの難易度の本を見つけて少しずつ登り詰めていくべきなのかだ。

僕は後者を推す。知っている限りで頭の良い人は必ずそうしている。

いきなり難しい本を読むのも視察や探索の意味では悪くないが、効率が悪い。そんな本とは再会を誓った上で、知的好奇心を自制しながら、泣く泣く別れを告げよう。

意欲の持続と理解の達成感のバランスを考えたら、書かれていることの8割が読み解けるくらいの本がちょうどいいだろう。

わかる8割の部分は更にわかり、盤石になる。わからない2割は、大抵は著者によってわかる8割の部分からの連続的な接続が試みられているので、その親切心にあずかればものに出来る可能性は高い。

この世に本は無数にある。素人が書いた書きものにも自在にアクセスできる。8割わかる本を探し出すことは難しくない。

ところで、8割わかる本を10割理解できた場合、わかることは1.25倍になる。これはおそるべき数字である。8割わかる本を見つけては読解することを繰り返せば、わかることは複利効果で天文学的倍率に増えていく。

数字の上では、そうなのだ。しかし現実は非常なり、難解な本ほど8割から10割への推移が容易でなくなっていく。そういうレベルにおいては、8割わかる本は一生8割わかる本のままである可能性の方が絶望的に高いだろう。

ある程度の時間の蓄積と"8割原理"を前提にすれば、読書とはつまり、2割を埋める死闘である。その段階になると多読しようにもできない。ほとんどの本は簡単すぎて読む価値がなく、また一部の本の2割を埋めるためには全身全霊で向き合うことを余儀なくされる。