読書の指針3_自分を保つ

読書の方法論についてネットでさまざまな記事を見ると、ある程度の頻度で議論されていることがある。

「読書をしすぎると、自分の頭で考えなくなる」

という、例のあの問題点だ。気がかりな人も多いと思う。

自分がそうだった。読書の重要性に気がついてからは一時期一日に2冊くらいのペースで、とにかくスピードを追求してみようと、大した思慮もなしに本の虫になった。

一方で、上の問題点にも気づいていた。このまま本を読み続けたらいずれ、ききかじったリクツだけは立派で、いざ未知の問題と立ち向かったときには立ち尽くしてしまうような、残念で滑稽で無力な頭ができあがるのではないか、と。

結果としてそれは杞憂だった。理由は2つある。

  1. 読書ごときでは思想は覆らない。人間の本質はそう簡単には変わらない。ゆえに、必要があるときにはいつでも、自分の思想に耳を傾けて、0から議論を始めることは可能だ
  2. 頭が働かなくなることが問題なら、本を読んだ分だけ頭を働かせればいいだけの話だ。読書そのものに非はない。あるとすれば読者にある

 

2番について少し掘り下げる。

外山滋比古は『自分の頭で考える』で

摂りすぎた知識は脂肪となり、身のこなしがどんどん悪くなる

と書いている。これは冒頭の問題意識のまさにいわんとするところだ。

脂肪は、運動して燃焼させればいい。その意味で、筋肉は知恵にあたると考えられないだろうか。

そして、体の大きさは知性の偉大さに例えられよう。脂肪を付けまくってぶくぶくに太ろうが、知恵という筋肉に負荷をかけ続けて筋骨隆々のマッチョになろうが、体は大きくなる。

「読書をしすぎると、自分の頭で考えなくなる」問題は要は、前者としての体の大きさをとがめている。知識の過剰摂取によって肥大させた体の醜さ、フットワークの重さを警告しているのだ。

それなら解決方法は単純明快だ。食べた分だけ動けばいい。知識という名の栄養分に対して、相応の"筋トレ"をする、つまり知恵を働かせる限りは、脂肪はつかない。

 

 

スピードが求められる昨今、全部を全部、思考で賄おうとするのはもはや理想論だろう。かといって、なにもかも知識にものを言わせて思考が凝り固まることがよくないのは言わずもがなだ。

そのためには知恵の筋トレだ。知恵が強くなれば、代謝が増す。次第に、かつては過剰摂取だった知識量を摂取しても脂肪には変換されなくなる。

知的な偉人というのは、知的なマッチョのことだったのだ。体脂肪率一桁台の。