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のべつまくなし

哲学と人生

過去はすべて自分のベスト

雑感

後悔はどこから生まれるか。

それは、自分はもっとできたという思い上がりから生まれる

後悔している人の典型的な態度はだいたいこんなものだ。

  • 「自分はやりようによってはもっとうまく立ち回ることができた」
  • 「自分の能力にとって、現在地点はふさわしい場所ではない。もっと高い場所にいたはずだ」
  • 「自分にはやむを得ない事情があった」
  • 「自分は余力を残していた」

いや、立ち回れなかったからそこにいるのであって。能力が低いから高い場所に行けなかったのであって。

やむを得ない事情が本当にやむを得ないのなら、後悔はしないはずであって。それはやむを得ないのだから。

「あ〜そうなんだ〜余力があったのなら次は大丈夫だね〜」とでも、甘やかされて生きてきたのだろうか。反吐が出る。

できたはずのこととできなかったこととの間に存在するスキマを「余力」とみなすのは、自分の能力と可能性の過大評価にすぎない。過去はすべて自分のベストなのだ。少なくとも世間はそう捉える。後悔した人がねちねちこだわっている「余力」とやらを正当に評価できるシステムはいまのところ存在しない。

原因と結果の履き違え。本当はできたはずの自分などただの幻想だ。できなかったのだから。

過去にできたことがそっくりそのまま、自分にできること。実績だけを崇拝する。そういう態度で物事にあたれば後悔などわきおこらない。

本当にとるべき態度は、

  • 「もっとうまい立ち回り方はあるかもしれないが、今はこれが私の最善であり、結果に文句はいいようがない」
  • 「私はつねに、自分の能力にふさわしい場所にいさせられる」
  • 「やむを得ない事情とやむを得なくない事情をまずは見極め、前者は捨てる。後者を考慮しないことの責任は全て自分にある」
  • 「余力などない。力は余らない。力はそっくりそのまま、現実に変換される」

のようなものではないか。