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のべつまくなし

哲学と人生

全ての成功哲学に唾吐く

哲学もどき

この記事の要旨

成功哲学本に翻弄され、多大な時間を空費してきた私だからこそ、その手の本がいかに低俗かをお伝えできるのです。

書店にゴミを並べるな

成功哲学

「〇〇力」

「□□における鉄則」

「知らないと損する△△」

大半の日本人が思考停止的にことに当たっていることを証明するかのように、書店に並ぶ胡散臭い書籍の数々。

人々はたかが一冊の本で人生が激変するとでも思っているのだろうか。そのような書物を買うことがいかに恥ずべきことかが、もっと広くに知られてほしいと思う。

一冊の本によって自らの隠された才能が目覚め、鮮烈な洞察を与えられる。そんな都合のいい書物は決して書かれず、書かれたとして市場に出回るはずがない。

隠れた才能、不遇な卓越性といったものは存在しない。絶無と言っていい。隠れる程度の能力は純度が低く、才能と呼ぶに値するほどの希少性は秘めていない。

〇〇力、を謳う書物も95%は疑ってかかっていい。特にその力が聞き慣れない場合はほぼ確実に、スキマ産業的な、重箱の隅をつつく非本質的書物であることは間違いない。

もちろん、書籍の帯などに書かれたキャッチコピーに自分が何か感じるものがあり、後悔しないと確信したのなら、買えばいい。ただし、その本の価値を極限まで誇張したのがキャッチコピーであることを念頭に置いた上で(結婚当初は互いに心から認めあったはずの夫婦の実に1/3が離婚することに通じるものを感じる。この場合の"キャッチコピー"とはプロポーズの言葉程度のものか。私は何度も何度も"破局"してきたから、大袈裟なプロポーズの言葉ほど要注意であることを知っている)

目の肥えた読者も増えてきたのか、「成功哲学本」のコンセプトも凝ったものになってきているようだ。相変わらずの内容の薄さの隠蔽は、ますます巧みになってきている。

くだらない書物にはしかるべき大赤字をあてがい、著者もろとも、すみやかに市場から排斥せねばならない。その方が人々の考える力、資料を探す力が養われ、良質な古典に触れる機会も増えるだろう。

成功哲学本が絶対に成功をもたらさない理由

なぜそう言い切れるか。成功哲学と呼ばれ言語として販売されている概念は、かつて成功者が世界で一番初めに非言語的に実践した概念だからだ。

成功をもたらす哲学というのは非言語的だ。言語として表されている時点でもうその概念は大衆の目に触れ手垢にまみれているので、実践した所で優位性をもたらしてはくれない。

もっとも、成功哲学を言語的に認識した所でそれを実践することすら出来ない人間もいる。「知らなければマイナスだが、知ればとりあえず0までいける」という点においては、世にあふれる言語的成功哲学も若干の存在意義はある。

しかし、それを一冊の本だけを通して習得できることなどまずない。そのことに気づけない限りは、胡散臭い書物の胡散臭い著者に食い物にされ続ける。

現代で繁栄する成功哲学ビジネスは表向き、「誰もが成功者になりうる生ぬるい現実」を演出しておいて、裏では取るものをきっちり取っている。元々あった成功者と落伍者の確たる隔たりは拡大の一途を辿る。

成功のためにできること

成功とやらを目指したいのなら、それなりに取るべき態度はある。

  • 自分の中の非言語的な哲学のみをひたすら実践し成功哲学へと昇華させる。哲学はその過程でのみ、言語化してもかまわない。本来それ以外の道はないのだ。その道が望み薄であるようなら、成功など潔く諦めるのがよい。
  • 外界の言語的な成功哲学には目もくれない。先述の理由から、それらは成功には寄与しない。「唯一の言語的成功哲学は、非言語的哲学に従うこと」であることを肝に銘じる。
  • そもそも、自分の中の成功の概念がありふれたものである限りは、「成功」などするわけがない。