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のべつまくなし

哲学と人生

SNSの負の側面を書くよ

雑感

SNSの悪い使い方をクローズアップして列挙する。良さなんて誰にでもわかっているような時代だから、悪さの方(悪さすらも今更感がほとばしる)。だが現にSNSには悪さがはびこっているから、こうしたらいいのにという考えも添えてつらつら書く。

自分の信仰を強化する方向の投稿にのみ好意を示す

→(改善案)たとえ自分とは真逆の考え方、相容れない傾向性に対しても、その背景や論理がしっかりしている意見に対しては同様に好感を示す。そうすることで救われるマイノリティがいる。

究極、フォローするアカウントは完全ランダムで決めることが望ましい。そのためには自分の信仰を、「それ以上の強化を必要としないもの」に絞っておく必要がある。言い換えると、SNSで強化しなければならないような信仰なんてもう信仰じゃないから(少なくともSNS利用中は)捨て去る。

匿名性を伴った罵詈雑言 = 正しくない批判 に興じる

→本名をさらし、本人であることを証明した上で初めて正しい批判になる。批判は本質的には相手に変化を求める行為。自分がリスクを背負わずに、相手の改善というリターンを得られるはずがない(⚠この記事は"批判"ではない)。匿名 = リスク0。

代替案の伴わない愚痴

→愚痴単体では不快なだけ。代替案を示せば、その投稿を見て「私もその愚痴にあてはまるな、こう治せばいいのか」と有意義な影響を生みだしうるし、他の人には「私ならこうするな」など別の代替案の考案を促しうる。果ては問題を議論する契機になりうる。愚痴単体では、機械的な同情と不快感しか生まれない。あとほんの一歩だけの違いが、大きな違いを生み出せる。

投稿の具体度が高すぎる

→個人の人生にまつわる話など、99.9%の人間にとって役に立たないか興味がない。具体的すぎる概念ほど普遍的でない。せいぜい喜ぶのは投稿者本人とSNS運営企業くらいのもの。誰しもの目に触れうるというネットの利点の活かし方のひとつは、自分がいちばん苦労して得た情報から、普遍的な部分を抽出して発信することだ。

優しくない

→優しくなる。ただでさえ悪意あふれるネット上に、自分まで悪意を注ぎ込む必要はない。十分足りている。ネットでの存在価値を高めたいのなら優しさがまず欠かせないことくらい、良心に問いかければ誰でも分かる。

言葉遣いが汚い

→言葉遣いに無頓着なのは自分への甘え。投稿する全単語を辞書で引くくらいの気概は最低限持たないと人の心に届く文章など書けない。言葉遣いが汚いだけで大多数の人間が離れていくという現実をみんなで協力・維持しないと、日本の知的レベルが底なしに落ちていく。そうなって割りを食うのはほかならぬ自分自身だ。

鍵アカウントに本人性をチラ見せ

→秘密の日記帳の表紙だけを見せてまわるようなものだ。見ているこっちが恥ずかしい。鍵アカウントの取るべき立場はフォローさせるか存在を知られないかの二択にすべき。

犯罪利用

→加害者側にどうこう言っても始まらない。一定数はどうしても犯罪を企てるのだから、これは実質被害者側の意識の問題。付け入る隙を与えている代償として被害に合う。防犯意識(ネットリテラシー)が高まれば、儲からなくなった犯罪は淘汰されてまた新しい犯罪が考案される。ウイルスに対して免疫系のような、この代謝システムのサイクルを出来る限り早くする必要がある。

投稿内容の質と知名度を混同する

→投稿者や発信メディアの知名度が高いほど被コメント数、Favorite数などが増えるが、この数に内容の良質さを見るべきではない。大きな風潮や流行に従っておくことで得られる快感に溺れる人間は目が見えていない。

また、コメント数が多くてもそれは十分な多様性の保証にはならない。わざわざコメントを残すような人間はそのトピックに関して強い思い入れがあるから、平均的な人間より偏った考えを示す傾向が強い。

反対に、投稿の質が高いからと言ってそれが知名度に繋がるとも限らない。人間は未知の領域に踏み込むことに多少の恐怖、しぶりを抱く生物だから、知っている範疇に安住する傾向にある。自分は当然のように、99.9%の人にとっての恐ろしい未知だ。という理由もあるし、ネットにはネットのマーケティング法があり、それに則って自らを売らない限りは質が高くなりようもない。シュレディンガーの猫。

広告を邪魔がる態度

→サービスとは何か。サービスの存続に必要だから広告はそこにある。たとえその広告費が過剰利益分だったとしても。

内輪ネタ

→そのネタにネットという公共性は必要か?内輪ネタの内と外のあまりの温度差を喜ぶのは常に内側の人間だけで、外側の人間は凍える心を持て余している。

しかし一方で、内輪ネタを共有するのがネットの醍醐味のひとつであることは否めない。

「内側が寒くなる内輪ネタ」を推奨したい。みんなが得する優しい内輪ネタである。

 

 

(その他、順次思いつき次第追記。)