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のべつまくなし

哲学と人生

思ったことを思ったままに口にしていい理由

たまには推敲なしの駄文もいいよね。いつもは推敲ありの駄文。それすなわちただの徒労。

推敲なしの何がいいかというと

  • 執筆時間の劇的削減
  • 飾らないぶん文体の透明感が増す
  • 結局その方が読み手に伝わるということもある
  • 考えながら書くと思ってもみないことがうまれることも多い
  • 推敲なしという名目で臨んだ方が取り掛かりが容易

で、表題について。

カオス理論をちょっとかじると、個々人が考え抜いて考え抜いて導き出した見解なんて、多様性の波間に瞬間葬り去られることを理解する。

でもじゃあ考え抜いたことが無駄かといえば、そんなこともないのだが。考え抜く作業というのは大体の人は左脳で行うのだが、この左脳的な作業をあるごく狭い範囲に蓄積させる(ある一分野について理解を掘り下げる)とすごいことが起こる。その分野に関しては直観力が働くようになる、すなわち右脳的な思考へとシフトできるのだ。

直観力の高い状態、右脳的思考の特徴は

  • とにかく処理速度が速い。生産性の向上
  • 速度だけでなく、何故か質の面でも左脳的な思考より優れていることが多い
  • 社会でプロと呼ばれる人間の思考は大半が右脳的である
  • 扱う概念の抽象度を自在に上げ下げできるから創造性の源になりうる
  • 突拍子のない発想、革新の種となるような発想が左脳的発想より格段に産みやすい

囲碁の名人の人工知能への勝利も、将棋の羽生さんの勝負手も、この直観力がもたらすものらしい。脳の特定の分野の連携が強化されると直観力がうまれる。大局観があるなんて言葉で表現される能力だ。そしてこの連携は意識的に強化することができるらしい(とある実験では、将棋の初心者が4ヶ月詰将棋に取り組んだところ、羽生さんと同様の脳の部位の連携が新たに生じたという。すなわち、羽生さんの直観力はある程度までは誰でも再現できる可能性がある)。手元に資料がないので後で引用元を追記する。

閑話休題

ところで、考え抜くことというのは、個人の能力を発展させる色濃い。いうなれば自己中な行為。

反対に、考えなしに言葉を吐き出すことは、組織の発展に寄与する色濃い。利他的。人間愛に満ちた行為。夏目漱石が晩年至った則天去私(我欲を捨て、自然のままを受け入れる)もかいま見える。

これはどういうことか。この記事時間軸によこたわる孤独 - のべつまくなしでも書いたのだが、十分な多様性の中に身を置いている限りは、たとえ自分が「正解」から大きく外れていたとしても、反対方向に同じくらい正解から外れている他の誰かは1人くらいいる。その人の効果を相殺できるのは自分しかいないわけだ。

また、自分が正解に近い場合は、組織全体の平均値が正解に近づくことに貢献する。

つまり、自分が正解に近かろうが遠かろうが、発言するだけで、一人分、組織の多様性を豊かにする運動に寄与でき、それは結果的に組織の平均値が正解に近づくことへの貢献なのだ。

ただし、例外もある。実社会はそう単純ではない、まず、組織がある程度の具体性を持って正解を設けていない場合。個々人が闇雲な方向に作用しては元も子もない。ジェリービーンズの実験のように、個々人は「正解を当てようとする」必要は勿論ある。

また、組織の母数が少ない場合。例えば4人の集団で、自分の「予測値」が平均値に与える影響はかなり大きくなってしまう。まあそれでも統計学的にみれば十分すぎるくらい正解には近づけるが。

あと、反対方向に同じくらい間違った人と自分が相殺できるかどうかは、事によるということ。極端に怒りっぽい人と極端に気の弱い人とが効果を打ち消し合えるとは思えない。

あるいは、たとえば営業成績などのように、平均値から反対方向に同じくらい離れていたとしても、その価値が等しくない場合がある。この場合、「営業成績が低い方の異端者」が「多様性に一役買ってるんだよ」などと宣うものなら、リストラリストのトップに躍り出ること請け合いだ。

 

最後に、誰しも私のように多様性に寛大になれるわけではない。殊、同調圧力の強い日本においては。就業規則、マニュアル対応。多様性への貢献が失業に繋がる世知辛い世の中。

とはいえ、ここでは多様性の「ジェリービーンズ効果」をてばなしに尊重したい。多様性への貢献という考え方を身につけると、むしろ発言しないことの方に後ろめたさを感じ始める。自分が天に与えられた分の多様性を発揮しないと、組織の本来の強みであるはずの「数の猛威」が少しだけ弱まる。これは組織力などと呼ばれるものの衰えに繋がる、あるいは組織力の衰えそのものであると思う。

とはいえ、タイトルは言い過ぎか。公序良俗は踏まえなければならない、などの暗黙の了解はさすがにやぶれない。かもしれないし、組織に1人くらいはそんな固定観念ものともしない人がいた方が、組織としては正解には近づけるのかもしれない。一概に言えたものじゃない。