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のべつまくなし

哲学と人生

自分に負けるくらいなら野垂れ死のう

雑感

私は負けた。途方もない回数負けてきた。

誰にも負けたくないという競争心に負けた。世間体を納得する水準に保ちたいという虚栄心に負けた。欲望に負け続けた。欲望を即時に充足させることをしないだけの忍耐力は腐るところまで腐った。

人生を振り返ると概して、負けたことそれ自体は(初回に限り)なにも問題ではなく、問題はむしろ、負けたことの認識の仕方にある。私の歩む道が悪い方悪い方へと曲がっていったのは、負けを運命とみなす悪い意味での潔さと、過度の一般化。そして他者の助けを借りることなく理想を実現しようという思い上がりである。

私は負けるたびに、これは運命なんだと自分に言い聞かせた。自分の努力の方向性が誤っていたこと、あるいは努力の質・量が他者に劣っていたことを認める、つまり、自分は必然的に負けたのだと認めるのはきわめて苦痛だった。低劣な一般人を尻目に高い理想を掲げ、ある程度の苦痛をお首にも出さず、誰よりも崇高な意思が宿っているはずの自分の敗北を納得いく形で説明するには、運命に縋るほかなかった。

また、敗北によって一度抱いた無能感は能力一般に波及した。全精力を注いだ分野でさえ一位になれない私はもはやあらゆる分野において凡人である。その確信は日に日に強まり、崩れ行く理想に精神は苛まれ続けた。常日頃忌み嫌い私を戸惑わせ続けた凡人と自分との主観的評価の乖離だけが私の心の拠り所だったのだから。

その精神性は必然的に、私を独りよがりな努力へと駆り立てた。誰にも観測されない努力だけが唯一にして最高の美徳であると信じ続けた。他者による軌道修正(フィードバック)を拒み続け、排他的に、独断的に能力を総合していった。それが最善であると盲信するくらいには、ありとあらゆる他者に反吐が出る毎日だった。彼らに指示を受けるくらいなら命などいらないとさえ思った。

結果だけが重視され、結果を残さない者は「努力不足」と言う言葉で一括りにされるというこの厳しい世界の慣習に、私はへこたれるというよりはむしろ、適正の高さを示していた。虎視眈々と"突如現れた才能"、"埋もれていた資質"と称される日を夢見る自分に酔い続けるためには、発展途上に存在を認知されるのは都合が悪かった。

今日、そういった日々を執拗に送ってきた自分の幼稚さ、未熟さを心底恥ずかしく愚かしく思う一方で、そういう情熱の生み出し方しか出来ないのもまた自分なのであるというある種の諦観が、私を安らかに"してしまって"いる。これは完全な自分への敗北である。自分を貫く戦いに私は大敗を喫した。そう、自分が必死に戦っていた相手は自分自身であり、(広義の)生存競争という、他者がしのぎを削る土俵に立つことすら出来ていなかった。

過去の経験から私が得た敗北に関する教訓は以下だ。

  1. 敗北は必然的に訪れること
  2. 無能感の妥当性を点検すること
  3. 独善的な奮闘でたどり着ける範囲などたかが知れており、仮に傑出した境地に達したとして、そうした課程を経て得た能力は誰の役にも立たない可能性が高いこと(そして誰の役にも立たないのなら、経済的な価値もない)

教訓というのは、私が糊口を凌ぐための教訓ということで、(自分との戦いとの)勝者として魂の一貫性を保つための教訓ではない。

生計を立てることを意識した瞬間というのは人間の人生におけるひとつの転換点であり、良かれ悪かれ精神に多少の変調をきたす。ここで自己を保てるか否かが、大多数と少数との絶対的な相違点である。どちらが優れているとかそういうことではなく、かなり次元の低い好き嫌いの話ではあるが、この好き嫌いを保てないがために世間には(私に言わせるところの)くだらなさがあふれかえる。そしてそのくだらなさに私は今まさに手を染めようとしているのだ(くれぐれも、これは"私が広義にくだらなくない"ということではない)。

このくだらなさというものをあえて言葉にするなら、需要に迎合「しようとする」ことのくだらなさだ(きちんと迎合しきる分には構わない)。お金になるからスキルをつける。顧客にへつらいしたくもない激務に身を投じる。ここに自己があるといえばあるが、ないといえばない。「有効供給の原理」が実態であったならどんなにか良かったか。

世間にありふれた価値観を持つ人にとっては有効需要の原理は都合がいい。自分が欲しいものの供給を追求すればそれで済む。他方、マイノリティは自分の価値観とは共通点の少ない他者の価値観を推察するところから経済活動を始めることになる。そしてこの作業においてネックとなるのが、アスペルガーの非共感性だ。

とにかく、個を殺し肥大化した自意識をなだめすかして透明に生きることは、私には難しい。できることなら私だってそうして生きていたいのだが、実際問題不可能に近い。そういう道を歩もうとすると、今度は他者に嘘をつき続けていることに居た堪れなくなる。自分に嘘をつけば他者にも嘘をつくことになる。このあたり、人々はどう折り合いをつけているのか不思議で仕方なくなるのは、私の視野も経験も不足している証拠だ。